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   <title>あなたに会いたくて</title>
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   <title>第9回　(株)今弘商店、(株)今弘スチール　代表取締役　高橋 文一 様</title>
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   <published>2006-09-28T02:24:38Z</published>
   <updated>2009-02-25T01:07:10Z</updated>
   
   <summary> PROFILE (株)今弘商店　(株)今弘スチール　代表取締役　高橋 文一 様...</summary>
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      <![CDATA[<div class="prologue">
<strong>PROFILE</strong><br /><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic9-1.jpg" width="160" height="120" align="left" style="margin-bottom: 15px;"  />
<strong><nobr>(株)今弘商店　(株)今弘スチール</nobr>　<nobr>代表取締役　高橋 文一 様</nobr></strong><br />

プロフィール　昭和３１年花巻市生まれ<br />
明治２０年に米穀雑貨商として「今文」創業。その後、土地建物賃貸業、鉄スクラップ加工処理、一般鋼材類販売など業務を拡張、手広く展開する花巻の老舗企業。独立採算の経営体制にする為営業所は分社化し、６社の法人を有する。<br />
エピソードに事欠かない個性豊かな代々社長から事業を受け継ぐ５代目社長。いつも柔和な笑顔で落ち付いた物腰で周りの人望も厚い。自分のリズムで自然体に徹すること、おこる出来事は全て必然と受けいれることが自然と良い結果に結びついている。
</div>]]>
      <![CDATA[<div id="content-pic">
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic9-2.jpg" style="margin-top: 20px;" height="120" width="160" /><br />
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic9-3.jpg" style="margin-top: 200px;" height="120" width="160"><br />
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic9-4.jpg" style="margin-top: 200px;" height="120" width="160"><br />
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic9-5.jpg" style="margin-top: 200px;" height="120" width="160"><br />
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic9-6.jpg" style="margin-top: 200px;" height="120" width="160"><br />
<p style="width: 160px;">昭和３５年建築の社屋<br />大事に手入れして窓もピカピカ</p>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic9-7.jpg" style="margin-top: 200px;" height="120" width="160"><br />
<p style="width: 170px;">律儀に見送って下さった文一社長</p>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic9-9.jpg" style="margin-top: 200px;" height="160" width="120"><br />
<p style="width: 140px;">３代目 高橋文次郎氏銅像</p>
</div>

<div id="content-text">

<h3>■個性豊かな先代　初代～４代目</h3>

<b>さゆり</b>　今弘さんと言えば、私も子供会の資源回収でお世話になっております。花巻当りでは知らない人がいない老舗企業さんですよね。そのルーツから伺ってよろしいですか。<br />
<b>高橋</b>　　創業は高祖父（直系４代前）の文平です。彼は元々和田姓で、 13才の時に花巻の造り酒屋「今酉」さんに丁稚奉公に来ましてね。明治20年、42才の時にのれんわけをしてもらい米穀雑貨商「今文」を始めたそうです。名前も奉公先の「高橋姓」を名乗っていいよと言われて、身内同然にお付き合いしてもらったらしいですね。<br />
<b>さゆり</b>　ということは、かなり信頼を得ていたんですね～。さて、2代目はどんな方だったのでしょう。<br />
<b>高橋</b>　　2代目は高橋政太郎といいまして、明治の時代にハワイに行っちゃった。<br />
<b>さゆり</b>　エエ！？　明治に花巻からハワイヘ？　為替レートは一体どんな感じですか？（笑）<br />
<b>高橋</b>　　ハハハ、どうだったんでしょうね。弟の学資稼ぎが目的と聞いています。実家の商売は両親がいるし、一旗あげて来ようという気持ちだったみたいですね。ところが、行ってみるとサトウキビ畑で重労働の毎日で、元々政太郎は体力に自信がなくて悩むわけです。そこで、体力がなくて悩んでいること、本当は勉強がしたいことなどを工場長に上手く伝えたそうなんです。そしたら、ハワイの図書館に勤務できることになって。奥さんも工場長の自宅のメイドとして働くことになったそうなんです。<br />
<b>さゆり</b>　はぁ～、普通クビですよね。（笑）当時は労働基準法もないだろうし。<br />
<b>高橋</b>　　自分の気持ちを上手く表現することに長けていた人のようですね。結局、ハワイへは５年滞在して帰国するわけですが、外国で視野がひろがったんでしょう、いち早く米の検査員の資格を得て県内を廻ったり、貸家業を始めたりしてました。店子さんも税務署長さんや裁判所の判事さんなどにするから信用度も高い。また製氷業も始め、花巻のトラック１号はうちだったという話もありますが、これは本当かどうかは確認できないです。（笑）<br />
<b>さゆり</b>　う～ん、初代と2代目はなんというかフロンティアスピリッツに満ち満ちていますね～。さて、3代目になるとお祖父さまに当るわけですよね。一体どんな方だったんでしょう？<br />
<b>高橋</b>　　実は祖父 文次郎は3男なんですよ。どっかに「自分は3男坊で家を継ぐ人じゃない」という 意識があったんでしょうね、何か新しい事業をしなくてはと常に感じていたようです。ある日のこと、今文のそばで「ボロ屋」をやってた御夫婦が「今から夜逃げをします。」と挨拶に来ました。文次郎は貸したお金が回収出来ないのは面白くない。勿体ないと思うと同時に以前から「ボロ屋は面白そうな商売だな」と思ってたようで「俺がボロ屋の商売をやってみるから手伝ってくれ」と声をかけたんです。時に昭和５年、今弘商店の始まりです。<br />
<b>さゆり</b>　スゴ～イ！Ｍ＆Ａ？？（笑）すみません、ボロ屋ってなんですか？
<b>高橋</b>　　古繊維と呼ばれる古い衣類、古い布。それから髪の毛、馬の毛ですね。最初は負債も多くかなり苦労したようですが、時代の流れで金属ものを扱うようになってから商売が軌道に乗りました。石油の一寸缶ではかなり商売を伸ばしたようですね。<br />
<b>さゆり</b>　一寸缶はどのように再利用したんですか？<br />
<b>高橋</b>　　沿岸地域で魚を入れるのに需要があったんです。それから鉄鋼業が盛んになりましたので、必然的に鉄クズも増えていく訳です。新日鉄釜石との取引が始まりまして商売が広がってきました。<br />
<b>さゆり</b>  記憶にあるお祖父さまはどんな方なんですか？<br>
<b>高橋</b>　　これが全くの「創業者」（笑） 非常にワンマンでね、文次郎のツルの一声は絶対です。おっかないなんてもんじゃない。まず朝は３時ごろ起床。従業員の宿舎の周りを咳払いして歩き起床を促すわけです。朝ごはんの前に一仕事するのが当たり前の、とにかくよく働く人でした。<br />
<b>さゆり</b>　ワンマンなお祖父さまでも、お孫さんで長男となれば文一社長には甘かったのでは？<br />
<b>高橋</b>　　実は、祖父とは小さい頃は住まいを別にしていました。というのは元々上町で商売をしていたのですが、もっと広い場所に移転する必要に迫られたので、昭和３５年頃父母と私たち兄弟はここ（鍛治町）に越してきたんです。たまに祖父の家に行くと、とにかく話が長い（笑）大体2時間、長いと半日。でも話が終ると１万円くれるので黙って我慢して聞きました。<br />
<b>さゆり</b>　当時、1万円はかなり大金ですよね。うらやましい（笑）どんな話か覚えていますか。<br />
<b>高橋</b>　　昔の事から今までの苦労話とか訓示とか私に聞かせたいことでしたね。当時は我慢していましたけど、体に刷りこまれていますね。<br />
<b>さゆり</b>　さてさて、そんな強烈なお父上を持った４代目文吉さま、つまり高橋社長のお父さまはどんな方だったんですか。なんだか苦労多そうですけど（笑）<br />
<b>高橋</b>　　負けじと強烈です（笑）普通だとめげてしぼんじゃうんだけど、意外とそうじゃない。現在会長の文吉は２６才の時に社長に就任しました。<br />
<b>さゆり</b>　２６歳ですか！？　普通そのようなワンマン社長だったらずっと社長をしてそうですけど…<br />
<b>高橋</b>　　外には豪傑に見えるんですけど、内心は非常に繊細で慎重なんです。半分冗談で言ってたのは、「３代目は身上つぶす」って言われてるから早く息子に家督を譲りたかったそうです。（笑）さらに、息子の社長就任と同時に、高弘さんに同じ商売を同じ資本金渡してのれん分けしました。「さあ２人で競争してみろ」と競わせたんです。<br />
<b>さゆり</b>　き、きつ～！（(^-^;　でも、競争の原理で会社は発展しますね、戦国武将のような策士ですね…<br />
<b>高橋</b>   おやじはさすがにきつかったと言ってましたね。頑張ってここまできたんでしょうね。<br />
	
<h3>■５代目の自分 ～バトンランナーの一人である～</h3>

<b>さゆり</b>　さてさてようやく５代目、文一社長の出番です。やはり２６才で社長就任ですか？<br>
<b>高橋</b>　　親父も考えたらしいけど、銀行さんに時代が違うといわれたらしく（笑）３６才で社長に就任しました。<br>
<b>さゆり</b>　かなり個性的な４代の社長を経て５代目に就任される…どんな心境なんでしょう？<br>
<b>高橋</b>　　私は小さいころから人と争うのが嫌いなんですね。起ることは全て必然だなと受け止めているんです。社長就任時と同時に判断を迫られる物事がありました。新工場を建てる話があったのですが当時は景気もよくないし、そんな大きな投資をしていいものかと。ただ、国の資金が使える可能性がありましたから「これに申請してみて審査が通ったら建てよう。ダメならやめよう」と肚をくくったら通りました。（笑）
工場ができると、自動車工場が金ヶ崎に進出してきてその仕事が入るようになりました。後から考えるとそのタイミングで工場を建てなければその仕事は受けられなかった訳です。そんな風に計画しなくてもイメージ的に今年やれれば良いなと思っていると上手い具合にフっと実現するんですね。不思議です。親父や祖父とは違っても自分のリズムでやるしかないかなと思っています。<br>
<b>さゆり</b>　しっかりと文一社長のスタイルができている印象を受けます。今後はどうような方針で行きますか？<br>
<b>高橋</b>　　私たちの仕事は世の中が良くなれば仕事が増えるという業態ですから、まず人さまのお役立ちができれば自然と仕事も増えていくと思います。気がついたらなんだか忙しいねというのが理想ですね。そして自分は単なる「バトンランナーの一人」でしかないと思っています。次世代につないで行かなくちゃいけないと感じます。後継者のことも娘２人で息子はいないのですが、あまり悩んではいません。最後は上手い具合になんとかなるだろうと自然に受け止めています。（笑）
</div>

<div class="epilogue">
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic9-8.jpg" align="right" height="120" width="160">
<strong>インタビューを終えて</strong><br />
文一社長は倫理法人会でお世話になっております。常々不思議だったのはいつも穏やかで柔和な微笑をたたえている事です。この品の良さは育ちの良さだけでは生まれない、何かある！是非一度お話してみたいと狙っておりました（笑）<br>
最善を尽くしたら天命をまつ平常心の心で、自然と事業も上手くいくという理想の循環形を実現してるところです。その心の持ちかた、わたしもおそばで学んでいきたいです。これからもついていきますヨ！
</div>]]>
   </content>
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   <title>第8回　手づくり健康会主宰　古舘隆 様</title>
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   <published>2006-07-10T09:06:57Z</published>
   <updated>2009-02-25T01:07:10Z</updated>
   
   <summary> PROFILE 手づくり健康会　主宰　古舘 隆 様 プロフィール　昭和２７年花...</summary>
   <author>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bcac.jp/anata/">
      <![CDATA[<div class="prologue">
<strong>PROFILE</strong><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic8-1.jpg" width="160" height="120" align="left" style="margin-bottom: 15px;"  />
<strong><nobr>手づくり健康会</nobr>　<nobr>主宰　古舘 隆 様</nobr></strong><br>
プロフィール　昭和２７年花巻市生まれ<br />
日本地下水（資）の後継者として就業中、椎間板ヘルニアを患い歩行困難に。
成功例の少ない手術にふみきれないまま仕事にも支障を来たし人生に絶望、失踪する。<br />
ふとしたご縁で命拾いし、実家に戻るも体調は一進一退。昭和６３年上海氣功研究所氣功医師菫妙成先生の氣功指導でヘルニアを完治。以後の人生を氣功に奉げようと決意、昭和６４年から花巻で「手づくり健康会」を主宰し、数多くの人に氣功を施し感謝されている。<br />
平成３年中国衛生部より医療氣功医師の認定を受ける。更に、日本リラグゼーション協会のフットケアセラピストの資格も取得、人々の健康維持に奔走する毎日を送っている。
<div style="text-align: right; margin: 5px;"><strong>手づくり健康会     お問い合わせ先→ </strong>090-2988-5010</div>
</div>]]>
      <![CDATA[<div id="content-pic">
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic8-2.jpg" height="160" width="120" />
<p style="width: 140px;">手づくり健康会、古舘邸。２階に干してある「玉川の湯」のバスタオルが目印です。</p>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic8-3.jpg" style="margin-top: 110px;" height="160" width="120">
<p style="width: 120px;">これがラジウムのたくさん出るベッド。中は石がぎっしりです。</p>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic8-8.jpg" style="margin-top: 110px;" height="160" width="120"><br>
<p style="width: 120px;">ベッドの下は40～50℃にキープ。30分程度で汗ぐっしょりです。</p>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic8-5.jpg" style="margin-top: 110px;" height="160" width="120"><br>
<p style="width: 120px;">続いて氣功です。岩盤浴の後だと効果アップ。</p>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic8-4.jpg" style="margin-top: 110px;" height="120" width="160"><br>
<p style="width: 140px;">中国の先生直伝の氣功。</p>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic8-7.jpg" style="margin-top: 110px;" height="160" width="120"><br>
<p style="width: 135px;">手づくり健康会の看板犬、さくら。</p>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic8-9.jpg" style="margin-top: 110px;" height="160" width="120">
<p style="width: 120px;">お勧めは２時間のフルコース。全ての相乗効果が顕著にあります。</p>
</div>

<div id="content-text">
<h3>■自殺を覚悟で失踪</h3>

<b>さゆり</b>　古舘さんは、大学は工学部応用物理学科をご卒業なんですね。<br />
<b>古舘</b>　　実家が井戸や温泉を掘ったり、地質調査などの水道工事関連事業を営んでいましたからね。一級土木施行管理技師、地質調査技師、さく井技能士なんて資格もあるんですよ。<br />
<b>さゆり</b>　トレードマークの作務衣姿からは想像できませんね～。<br />
<b>古舘</b>　　長男でしたから、青年会議所にも入っていましたよ。それが２９才の時　椎間板ヘルニアを患いまして色々治療したんですが悪化する一方、とうとう歩けなくなりましてねぇ。手術しなきゃないってことになったんですけど、失敗して車椅子の人を見たりするとどうしても踏みきれないわけです。悪い事に腰痛っていうのは見た目は何ともないもんで親に「仮病じゃないか？」と疑われる始末。辛かったですねぇ。<br />
<b>さゆり</b>　それで精神状態もどんどん悪化を？<br />
<b>古舘</b>　　そうなんですよ。当時は独身でしたしね、もう俺の人生はこれで終りだと死ぬつもりで。焼石岳に行きました。数日経って体から何も出なくなっていよいよだなと覚悟して茂みの元で眠りについたんです。翌朝目がさめて何気なく立ち上がると茂みの向う側にテントに一泊した縦走中の２人組の男性と目があってしまったんですね。習慣とは恐ろしいものです、お２人の「おはようございます」という挨拶に「おはようございます！」と元気に返事している自分がいたのです。<br>
<b>さゆり</b>　山ではすれ違いざま　お互い声を掛けあいますもんね。<br />
<b>古舘</b>　　今思えば、あれが「死」から「生」に戻った瞬間ですね。私は手ぶらだし明らかに様子がおかしいわけですが、「朝ごはん食べた？」なんて聞くんですよ。とうとう、朝ごはんまで呼ばれてしまいまして（笑）。死ぬ前に飲もうと親父のとっておきのウィスキーをくすねてきてましたから、それをお礼に渡してきました。最大の後悔は名前も連絡先も聞いてこなかったことですねぇ…<br>
<b>さゆり</b>　命の恩人ですもんね～。ネット上で捜索しましょうか！（笑<br />

<h3>■氣功との出会い</h3>

<b>古舘</b>　　命拾いして実家に帰ったはいいのですが、しばらくひきこもり状態が続きました。そんな私に毎晩電話をくれたのが青年会議所の先輩の高橋豊さんです（現：高源機械社長）。「今飲んでるからでてこない？」って毎日言われている内に「行ってみようかな」って氣になって出かけました。そしたら、高橋さんは「よく来た、よく来た」ってすごく歓迎してくれて。さりげない話の中にご自身の抱えている苦難や他の会議所メンバーの苦境なども例にあげて、「つらいのは君だけじゃないよ、がんばろう」と励ましてくれたんですねぇ。<br />
<b>さゆり</b>　高橋社長は昔から変わってないんですね（笑）<br />
<b>古舘</b>　　段々氣持ちも前向きになってきまして、ぼちぼち働けるようになりました。その時出会ったのが今の女房です。私の全てを受け入れてくれましてね。<br />
<b>さゆり</b>　氣持ちが変ると景色や物事も変っていくのでしょうか？<br />
<b>古舘</b>　　本当にそうだね、そんな時に東京にすごい氣功の先生が来ているからと耳にしました。それからですね、その先生のおっかけをしまして。それが私の運命を変えた上海氣功研究所の氣功医師菫妙成先生だったんです。その先生の指導を受けているうちに、何をやっても治らなかったヘルニアを克服できたんですよ。<br />
<b>さゆり</b>　長かった暗黒時代に光がさした瞬間！<br />
<b>古舘</b>    そうそう（笑）そしたら先生は「あなたは自分を治したら、今度は人のことを治しなさい」っていうんですよ。「ああ、そうだな、これからは自分と同じように苦しんでいる人を氣功で助けたいな」と心から思えたんですね。ここから本格的に氣功の修行にはいりました。<br />
<b>さゆり</b>　昭和６４年に「手づくり健康会」を主宰するわけですね。でも当時、花巻では「氣功」に対してどの程度理解があったんでしょう？<br />
<b>古舘</b>　　全くといっていいほどなかった（笑）「あいづ、あやしいこと始めたぞ」って噂にもなってたらしいし。先生にも東京でやれと勧められましたね、実際東京では患者さんが列をなして待っているし、はっきりいって稼げました。ただ、自分はどうしても「花巻」にこだわりたかったんです。今まで自分は花巻の人達のお世話になって生かされてきたわけですからね。<br />
<b>さゆり</b>　奥さまの御理解も大きかったのではないですか？<br />
<b>古舘</b>　　はい、感謝しております（笑）「お米がもうこれだけしかないわよ～」っていう日もあったなあ。それからも東京や中国やいろんなところへ氣功の修行や講師に出かけることができたのも女房の理解あってこそです。北京では人民解放軍総医院教授、医学博士黄美光先生や北京中医学院教授宗天彬先生などいろんな先生に師事し、修行ができましたね。<br />
<b>さゆり</b>　ついには中国の国家機関みたいなところから認定をうけられて。<br />
<b>古舘</b>　　はい、平成3年には中国衛生部より「医療氣功師」の認定をうけました。<br />
<b>さゆり</b>　これがその認定状ですね！花巻でのお仕事はその後どうだったんですか？仕事としてなりたつようになっていきました？<br />
<b>古舘</b>　　おかげさまで。（笑）宇宙の法則に従った仕事をしているという安定した気持ちもありましたからどうにかなるだろうと。実際、医者から見離されたような人に氣功と健康指導をしていくうちに口コミで広まっていったんです。<br />
	
<h3>■岩盤浴サービス開始。もっと健康に意識をむけてほしい。</h3>

<b>さゆり</b>　我が家の無農薬米、惣兵衛米の毎月ご購入ありがとうございます。食べるものからはじまって普段の生活から健康を意識なさっているのでしょうか？<br />
<b>古舘</b>　　はい、もちろんです。食事は生命の氣を「いただきます」と雨土の恵と生命の元に感謝してゆっくり噛んでいただいています。病気という症状がでていない人にももっと健康に意識をむけてほしくて新しいサービスをはじめました。<br />
<b>さゆり</b>　これがそのベットですか？（玉川温泉とほぼ同じラジウムを放射するベット）<br />
<b>古舘</b>　　そうです。さっき体験してもらったけど、どうでしたか？もっと多くの人に手軽に玉川温泉効果を実感してほしくて自宅で岩盤浴サービスをはじめました。この岩盤浴の後で氣功をすると効き目がよりアップするんですよね。<br />
<b>さゆり</b>　いや～本当に極楽でした。岩盤浴、すご～く汗かくのにスーッとひいて後はさらさら。べたべたしないし、体がほんとに軽くなる。そして足！足マッサージもよだれがでるくらい氣持ちよかったです。<br />
<b>古舘</b>　　足マッサージ…　フットケアですね（笑）これもフットケアセラピストの資格を取ったんですよ。わたしのフットケアは　痛くないです。痛み自体がストレスになったら、ちょっと違うんじゃない？って氣がするんですよね<br />
<b>さゆり</b>  わ～そうですよ～私は痛かったらもうやりません（笑）これからは中心に氣功をすえながらも岩盤浴やフットケアもとりいれてより多くの人の健康のために頑張っていくわけですね～？<br />
<b>古舘</b>　　<b>さゆり</b>さんは米づくりでヘルス＆ビューチィ。わたしは氣功、岩盤浴、フットケアで　ヘルス＆ビューチィなわけです。<br />
<b>さゆり</b>　ゴールは一緒ですね、私も頑張りますので今後ともヘルス＆ビューチィ仲間としてよろすぐお願い申しあげます！
</div>

<div class="epilogue">
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic8-10.jpg" align="right" height="120" width="160">
<strong>インタビューを終えて</strong><br>
私も一度ぎっくり腰になったことがあります。
腰がつかえないってこんなに不便なものかと愕然としました。それがずっと続いたら精神もおかしくなってしまいますよね。しかも青年期、結婚もまだなのに！<br />
あの時の苦悩は自分にとって必要なことだったと笑顔で語る古舘さん。
それはご自分の天命を「氣功による癒しで健康な体をサポートする」としっかりご理解なさっているからなのでしょうね。岩盤浴＋フット＋氣功、最高に氣持ちよかったです。これからも皆さまの健康のために元氣で御活躍してくださいね。
</div>

<div style="text-align: right; margin: 5px;"><strong>手づくり健康会  お問い合わせ先→ </strong>090-2988-5010</div>]]>
   </content>
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   <title>第７回　無ら里　代表　滝 成子 様</title>
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   <published>2005-11-24T01:08:18Z</published>
   <updated>2009-02-25T01:07:10Z</updated>
   
   <summary> PROFILE 無ら里　代表　滝 成子 様 昭和22年　花巻生まれ。 花巻の商...</summary>
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      <![CDATA[<div class="prologue">
<strong>PROFILE</strong><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic7-1.jpg" width="160" height="120" align="left" style="margin-bottom: 15px;"  />
<strong><nobr>無ら里</nobr>　<nobr>代表　滝 成子 様</nobr></strong><br />
昭和22年　花巻生まれ。<br />
花巻の商店街の中心部に生まれ育つが、父親がサラリーマンのため商売とは無縁の生活を送る。結婚を機に自宅をビルに改築。根っから商売人の夫と二人三脚でさまざまな飲食業を営む。平成３年、三田商会が花巻初の雑貨店「私の部屋」をオープン。10年間店長をつとめ全国売上げNO.1の記録を打ち出す。<br />
平成14年、花巻郊外にB＆Bタイプのカフェレストラン「<a href="http://burari.gooside.com/" target="_blank" />無ら里</a>」オープン。口コミでじわじわと評判になり、静かでゆっくり休める癒し空間として認知され、女性を中心に熱烈な支持を受けている。</div>]]>
      <![CDATA[<div id="content-pic">
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic7-2.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:200px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic7-3.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:200px" /><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic7-4.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:200px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic7-5.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:200px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic7-7.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:200px" /><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic7-8.jpg" width="160" height="120" />
</div>

<div id="content-text">
<h3>■ 町の子として育って</h3>

<b>さゆり</b>　私は花巻の郊外で育ったので市内に行くことを「町に行く」と表現していました（笑）その「町」の真ん中で暮らすってどんな感じなんですか？<br />
<b>成子</b>　　花巻祭の花巻囃子を聞くともう血が騒ぎますね（笑）。山車のパレードも家から見えるわけだし。<br />
<b>さゆり</b>　道に敷物しいて場所とらなくてもいいんですね～！上町にはどれくらいお住まいでしたか？<br />
<b>成子</b>　　平成14年に郊外に家を建てましたから、およそ30年間ですね。<br />
<b>さゆり</b>　ご実家は何かご商売をなさっていたのですか？<br />
<b>成子</b>　　近江商人の血を引く家系らしく、祖父の代では下駄屋とおもちゃ屋をやってたみたいですが、父がサラリーマンでしたのでまったく商売とは無縁の生活を送っていましたね。<br />
      
<h3>■　商売の道に</h3>

<b>さゆり</b>　ご商売にかかわることになったのは、ご結婚後なんでしょうか？<br />
<b>成子</b>　　はい、主人は茨城県の石材屋さんの四男で商売人の家庭で育ちましたから、自分で商売したいという気持ちが強かったんですね。それで、花巻で商売をしようということになりまして。結婚の翌々年、昭和４７年に実家をビルにしまして2階で和風レストランを始めました。当時は「和風」のレストランってめずらしかったんです。<br />
<b>さゆり</b>　当時から、新しいもの、めずらしいものを手がけていたのですね。<br />
<b>成子</b>　　そうですね、主人が新しいもの好きだったんです。和風レストランを１２年やった後は、新商売を次々はじめました。テイクアウトの寿司チェーン小銭寿司、居酒屋チェーンの村さ来など、やっては潰し、やっては潰し（笑）続くわけです。<br />
<b>さゆり</b>　小銭寿司も、村さ来ももちろん花巻初ですよね。<br />
<b>成子</b>　　そうです。朝から晩まで働き通しで。子供は祖父母に預けっぱなしでした。主人は商売人の家で育ってきて、あたりまえのことでも私わからないことも多く、よく怒られて（笑）。<br />
<b>さゆり</b>　ずっとご夫婦でご商売なさっていたわけですが、平成３年「私の部屋」の店長に至る経緯を教えてください。<br />
<b>成子</b>　　当時テイクアウトのハンバーガー店を営業していました。ええ、もちろん花巻初で（笑）。無理がたたって主人が体調をすっかり崩してしまったんです。その時、「私の部屋」を準備中だった三田商会の三田望社長に「ぜひ店長に」とスカウトされました。<br />
<b>さゆり</b>　三田社長とは以前からお知り合いだったのですか？<br />
<b>成子</b>　　主人が青年会議所で一緒でしたし、いわば同じ町内会という距離ですからね。早速　「私の部屋」の東京本社と展示会に連れていかれました。女性は新しいもの、きれいなものが好きですからね。「雑貨屋」がはしりの頃で「あら素敵！」となって、だんだん気持ちが向いていたんです。<br />
<b>さゆり</b>　ご主人は何かおっしゃいましたか？<br />
<b>成子</b>　　主人が三田社長に私をよろしく頼むとお願いしてたそうです。そこでハンバーガー屋を閉めて、本格的に「私の部屋」に参加しました。<br />
<b>さゆり</b>　オープンしたら大繁盛で。<br />
<b>成子</b>　　当時は本部から指導もないし、お手本は特にないわけです。ただ三田社長が「自分の感覚でいいんだよ！」とおっしゃってくださいました。大きい展示会はすべて行きましたし、毎月出張して問屋や展示会場を足でまわりました。自分の好みで仕入れた商品が売れるとうれしかったですね。売り上げが全国でトップになったこともあります<br />
<b>さゆり</b>　花巻店で売上トップってすごいことですよね。<br />

<h3>■ 松林に魅せられて</h3>

<b>さゆり</b>　自分の感覚が受け入れられて業績も順調。言うことなしの人生のようですが、便利な町の生活を離れて郊外に引っ越してこられましたよね。<br />
<b>成子</b>　　平成６年に主人を亡くしました。それで心にぽっかり穴があいたんです。気持ちを切り替えて仕事は続けていましたが「物を売る」ということに行き詰まりを感じ出したんですね。それと、とにかく田舎暮らしをしながら自然との共存を希望しました。自宅と店の往復で土がない生活は四季を感じないんですね（笑）。ストレスを減らして自分をもっとゆっくりさせなければと思いました。<br />
<b>さゆり</b>　ずっと走り続けていらして、ひと呼吸おきたくなったのかもしれませんね。<br />
<b>成子</b>　　はい、息子は私の希望する安らぎのある森を求めながら、住宅地図と電話帳を持って休日毎に車で走ってました。それで素敵な松林を見つけて、その足で地主さんの家に行きました（笑）。農地転用手続きに３年かかると言われましたが、待ってもいいから絶対そこに家を建てると決めました。<br />
<b>さゆり</b>　当時は「自宅」としてを家を建てるつもりだったのですか？<br />
<b>成子</b>　　はい。ただ、設計士さんとやりとりしているうちに私の希望通りの建物にするにはここで「飲食」の仕事もしたらどうだろうというイメージがふくらんできました。食の部分は生活の中でとても大事なものだし、楽しみな部分でもありますから食べ物屋さんをやってみようと思ったんです。<br />
<b>さゆり</b>　「私の部屋」のお仕事からの移行はスムーズにいきましたか？<br />
<b>成子</b>　　三田社長には何度も引き留められましたが、最終的には私の気持ちをわかってくださいました。設計士さんを紹介してくださったり、空調設備など、建築には大変協力をいただきました。平成１３年に「私の部屋」を辞めて、平成１４年１０月にカフェレストランB＆B 「無ら里」をオープンしたんです。<br />
<b>さゆり</b>　B＆B（ベット・アンド・ブレックファスト）というスタイルや、豊富なカフェメニュー、センスあふれる店構えとこれも「花巻初」でしたよね。<br />
<b>成子</b>　　イギリスでB＆Bを体験して、あったかい感じがしていいな～と思ったんです。地元の食材を使って家庭料理を出す「定食や」がいいいんじゃないな、と。この場所はちょっと町から離れてぶらっとやってきておいしいお茶を飲みながらゆっくりとした時間を過ごしてほしいですね。<br />
<b>さゆり</b>　いったん、自分をオフにきりかえて「無」になると。<br />
<b>成子</b>　　「無」という漢字が好きなんですよ。あて字ですがお店の名前にこの字を使いたかったんです。<br />
<b>さゆり</b>　今後はどんな「無ら里」にしていきたいですか？<br />
<b>成子</b>　　５５歳から「無ら里」をはじめて、とりあえず１０年やってみようと決めました。その後のことはその時考えようと思っています（笑）。とりあえず、いつも同じ「無ら里」ではなくプラスアルファがないとダメだと思っています。時々　ライブやイベント、展示会をするのはそのためなんです。今年から３０人くらいまでならパーティもやっていますので、よかったらどうぞいらしてくださいね。<br />
<b>さゆり</b>　あと７年ですか。でもまた予想外の展開になりそうで目が離せませんね（笑）<br />
<b>成子</b>　　どうかしら、その時がきたら考えてみます。（笑）<br />
</div>

<div class="epilogue">
<strong>インタビューを終えて</strong><br />
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic7-9.jpg" width="160" height="120" align="right" />
さゆりが独立して実家で仕事していた時、さほど遠くない場所におしゃれな建築物を発見。やっと、花巻にセンスのよいカフェができたと感涙にむせびました。それから滝さんとお会いするたびに優しく柔らかい笑顔、着こなしのセンス、そのライフスタイル全般にしびれっぱなしです。<br />
うちの姉（香港在住）一家も帰省するたび必ず訪れる「<a href="http://burari.gooside.com/" target="_blank" />無ら里</a>」。一度行ったら忘れられないお店、それはイコール滝さんの魅力です。これからも素敵な女性のお手本として滝さんをお慕い申し上げます。
</div>]]>
   </content>
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   <title>第6回　株式会社 伊藤染工場　代表取締役社長　伊藤　純子　様</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bcac.jp/anata/2005/10/6.html" />
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   <published>2005-10-06T00:35:26Z</published>
   <updated>2009-02-25T01:07:09Z</updated>
   
   <summary> PROFILE 株式会社 伊藤染工場　代表取締役社長　伊藤　純子 様 昭和34...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bcac.jp/anata/">
      <![CDATA[<div class="prologue">
<strong>PROFILE</strong><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic6-1.jpg" width="160" height="120" align="left" style="margin-bottom:15px;" />
<h3><a href="http://www.ito-some.jp/" target="_blank">株式会社 伊藤染工場</a></nobr>　<nobr>代表取締役社長　伊藤　純子 様</nobr></h3>
昭和34年、花巻生まれ。<br />
大正10年創業の印染工場の3代目。2人の兄を持つ末っ子のため、次期後継者としての意識が全くないまま育つ。東京で就職中、お母様が体調を崩し帰郷。お母様と一緒に着物のセールスを担当しながら家業を手伝う。お父様（2代目）のガン宣告、後継者だった長兄のご逝去を経て徐々に経営者としての自覚に目覚める。お父様を在宅看護しながら会社の陣頭指揮にあたり、平成13年代表取締役就任。経営に理念やビジョンを取り入れ、ＣＡＤも導入するなど伝統と革新を融合させている若手経営者。<br />
<div style="text-align: right; margin: 5px;"><strong>株式会社 伊藤染工場ホームページ → </strong><a href="http://www.ito-some.jp/" target="_blank">http://www.ito-some.jp/</a></div>
</div>]]>
      <![CDATA[<div id="content-pic">
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic6-2.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:180px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic6-4.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:180px" /><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic6-3.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:180px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic6-5.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:180px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic6-6.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:180px" /><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic6-7.jpg" width="160" height="120" />
</div>

<div id="content-text">
<h3>■ 老舗の末っ子お嬢様がなぜ？</h3>

<b>さゆり</b>　純子さんが老舗伝統産業の経営者になるまで、長い物語がありそうですが。。。<br />
<b>純子</b>　　はい、家は兄が2人いたので、後を継ぐなんてこれっぽっちも思っていませんでした。短大に行って、東京の自動車会社でお勤めしていたんですね。そしたら母が体調を崩したんです。手術が必要なので「看病しに帰ってこい」と父に言われて。親の言うことを聞くのはあたりまえとして育ったので、２つ返事で帰ってきたんです。<br />
<b>さゆり</b>　それからずっと実家でお仕事をなさっているのですか？<br />
<b>純子</b>　　そうです。母が退院してからは一緒に呉服部門のセールスにまわりました。今経営者の立場になって初めて母の営業方法のすごさがわかります。だって…お客さまのタンスの中身を全部知っているんですよ。（笑）電話で相談されても「あの帯とこの着物を組み合わせて」というふうにコーディネイトできるし、脱いだ着物は預かり、クリーニングして返す。売っておしまいじゃなくアフターフォローを完璧にしてましたね。<br />
<b>さゆり</b>　当時はお母さまのすごさには気づかず？<br />
<b>純子</b>　　まったく気づきませんでした。（笑）自分のお給料分くらい売ればいいかなって。自分が経営者だったら、そんな社員はちょっと…ねぇ。（笑）<br />
<b>さゆり</b>　そんな純子さんにその後何があったのでしょう？<br />
<b>純子</b>　　母は昭和63年に亡くなりました。次に平成7年、父がガン宣告を受けたんです。でも父はすごく気丈な人でしたからその後も普通にばりばり働いていたんですけどね。そして翌年、後継者だった専務（長兄）が亡くなったんです。<br />
<b>さゆり</b>　えっ（絶句）。お父さまは、2番目のお兄さんでなく何故純子さんに期待をかけたのでしょうか？<br />
<b>純子</b>　　２級ボイラーの試験を受けようと思ってちょっと勉強したんですね。
社内で資格を持っていたのは、定年間際の社員と病気の父だけだったので…誰かが資格をとる必要があっただけなんですよ。父から見ると、すごくやる気があるように見えたんじゃないかしら。2番目の兄は東京在住でもあり当時の都合もあったので、父にとっては諦められない気持ちもありつつ「俺は純子に決めたから」と伝えたらしいんです。<br />
<b>さゆり</b>　それから後継者としての英才教育がはじまった？<br />
<b>純子</b>　　教育とは違いますけど、介護の意味もあって会合やいろんなところに付き添いという立場で連れていかれるようになりましたね。今思うとあの時期にいろいろな人へ顔をつないでくれていたのでしょうね。<br />

<h3>■　知らないままではいられない</h3>

<b>さゆり</b>　染物についてかなり詳しくなっていたんですか？<br />
<b>純子</b>　　それが全然。父が初代会長を努めた「全国青年印染経営研究会」という会に連れていかれたんですが、父の発言を聞いて「うちはそういうのも扱ってるんだ～。」と初めて知ることばかり。でもそこで出会った経営者の人たちには本当に助けられました。自分の知っていることは何でも教えてくれたんです。<br />
<b>さゆり</b>　えっ？同業者にノウハウを教えるんですか？<br />
<b>純子</b>　　そうですねぇ。「印染業界全体をよくしよう、印染を世の中に広めよう」という意識がありますから、会員同士助け合えるんですね。技術職の社員がいきなり倒れてしまい、彼じゃないとわからない技術があって困ったことがあります。遠方の会員に電話したら「すぐ来て。やり方教えるから」って言うんです。もちろんすぐ新幹線に飛び乗りました。帰ったら教わったことをやってみる。うまくいくまで試行錯誤の毎日でした。<br />
<b>さゆり</b>　すばらしいお仲間というか指導者に恵まれましたね。<br />
<b>純子</b>　　はい、本当に周囲の人たちには恵まれていると思っています。染物業界以外では志戸平温泉（株）の久保田社長にいろいろ勉強させていただきました。久保田社長はうちの兄（専務）と高校の同級生で青年会議所でも一緒だったんです。だからある時「社長やるの？本気でやるなら教えるよ」って言ってくだって。それから久保田社長が主宰している経営勉強会に参加させていただきました。最初は聞く事全て「それは大会社の事だから…うちにはそんな事は無理。」そんな風にしか思えませんでしたよ。でも正直に会社の中の話をしていくうちに「お前の会社は面白いな～やる事が一杯あって。」と言われたんです。嘆いているより、面白がって当たれって教えてくださったのだと思いますね。その時、思わず聞きましたよ。「社長は落ち込む事があるんですか？」って。（笑）<br />
<b>さゆり</b>　すごい。久保田社長らしいですね（笑）　ところでお父様の体の具合はどうでしたか？<br />
<b>純子</b>　　いよいよ入院が必要となったんですが、労災病院初往診が認められて在宅介護ができました。父もわたしも恵まれていたと思います。わたしも仕事をしながら看病ができましたし。ただ、父亡き後を考えると今のうちに自分が代表権を持つべきだと思うようになって、創業80周年、平成13年に社長に就任させていただきました。。その1年半後、父は亡くなりました。わたしがだっこしている腕の中で明け方息をひきとったんです。自分としては、父を100％看護しきれたという満足感があります。久保田社長もそうですが、名前をあげたらきりがない程、たくさんの人たちに支えていただきました。本当に感謝しています。<br />
<b>さゆり</b>　お父さまも幸せな最期でしたね。いよいよ経営者としてひとりだちですね。
      
<h3>■ わたしらしい経営を</h3>

<b>純子</b>　　社長就任披露の挨拶で「伝統は革新の連続」という言葉を使いました。何かで読んで頭に残っていたのかもしれないですけど（笑）経営理念をプリントしたファイルをお招きしたお客様と社員のみなさんの席に置いて、自分の決意を述べたんです。新しいことをはじめると反発があるのは覚悟の上でした。実際やめる人もいましたし。ただ「わたしがこういう会社にしたい」とはっきり意思表示をするようになったら、不思議とそういう人が集まるようになったんです。<br />
<b>さゆり</b>　自分の意識でそんなに変るものなんですか！<br />
<b>純子</b>　　そうですねぇ。わたしが専務になって何をしていいかわからないまま初めてしたことは、社員さんの履き物を揃えることだったんですよ。黙ってみんなの履き物を揃え出したら、２週間もたたないうちに社員さんが自分できちんと履き物をそろえるようになったんです。<br />
<b>さゆり</b>　強制したわけでもないのに。<br />
<b>純子</b>　　それと、うちの理念が「共に感動」っていうんです。自分たちとお客様が製品を通じて一緒に感動できるような製品を提供していこうと思っています。「ありがとう」はこちらがお客さまに言う言葉でしょう？でも客さまから反対に「こんな素敵につくってくれてありがとう」って言われるのって感動ですよね。社員も自分で納得いかない部分は自発的にやりなおしたりして、丁寧なものづくりをしています。わたしが「もういいんじゃない？」っていうくらい（笑）。やりなおしって時間のロスなんですけど、それは将来につながることなのでロスじゃないと認めています。今後は「さすが伊藤染工場の社員だな」と言われるような人づくりに頑張っていきたいですね。<br />
</div>

<div class="epilogue">
<strong>インタビューを終えて</strong><br />
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic6-8.jpg" width="160" height="120" align="right" />
「さゆりさん、わたしのほどきさん（花巻の方言。仏壇のこと）を見ていって」と仏間に通されました。きれいに片付いた仏間は開け放たれて、いつでも社内の様子が見えるのです。ご両親、ご兄弟に孝を尽くし、ご先祖さまを大事にしている純子さん、あの世から皆さまが熱烈支援していることを強く感じました。手相をみてもらったら「最初から（社長就任）は決まってたわね」と言われたそう。<br />
「みんなが大変ね、かわいそうねっていうけど本人はそうじゃないのに。」と明るく笑う純子さん。出来事を自然体で受けとめるたおやかさとしなやかさを感じました。純子さんならではの方法で、伝統産業に革新を取り入れつつ成長していってください。次回はプライベートで飲みに行きたいです♪これからも先輩経営者としてよろしくお願いいたします。
</div>

<div style="text-align: right; margin: 5px;"><strong>株式会社 伊藤染工場 ホームページ</strong>　→　<a href="http://www.ito-some.jp/" target="_blank">http://www.ito-some.jp/</a></div>]]>
   </content>
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   <title>第5回　株式会社 成瀬　代表取締役社長　福井　誠司　様</title>
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   <published>2005-09-08T03:48:42Z</published>
   <updated>2009-02-25T01:07:09Z</updated>
   
   <summary> PROFILE 株式会社 成瀬　代表取締役社長　福井　誠司 様 昭和３４年盛岡...</summary>
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      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bcac.jp/anata/">
      <![CDATA[<div class="prologue">
<strong>PROFILE</strong><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic5-1.jpg" width="160" height="120" align="left" />
<strong><nobr>株式会社 成瀬</nobr>　<nobr>代表取締役社長　福井　誠司 様</nobr></strong><br />
昭和３４年盛岡市生まれ。<br />
大学3年の夏、先代社長である父に請われて後継者になる覚悟を決める。４年半のサッポロビール勤務時代、ワインの醍醐味を知る。当時知り合った奥様(現ワインアドバイザー)と岩手に戻り昭和63年に(株)成瀬入社。銀河高原ビールの立上げに関ったり、「カーヴ＆レストラン　ヴァンダンジュ」をオープンするなど新規事業を積極的に展開。大手資本が進出する中で、地場資本の酒問屋の生き残りをかけたビジョンと戦略に力を注ぐ若手経営者。
</div>]]>
      <![CDATA[<div id="content-pic">
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic5-2.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:190px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic5-9.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:190px" /><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic5-3.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:190px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic5-4.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:190px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic5-5.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:190px" /><br>
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic5-6.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:190px" /><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic5-7.jpg" width="160" height="120" />
</div>

<div id="content-text">
<h3>■合法的ドラッグに囲まれて育つ</h3>
<b>さゆり</b>　商売柄､お酒をたしなまれたのは早かったのですか？<br />
<b>福井</b>　　いや､うちは酒に厳しくてね。高校生くらいになれば、正月の宴席で「ちょっと飲むか」みたいになるでしょう？でも親父は「絶対だめ！」って、それは厳しかった。酒って「到酔性」があるから 世の中にある唯一「合法的なドラッグ」ですよね。<br />
<b>さゆり</b>　合法的なドラッグ！（爆笑）言われてみればそうですね！<br />
<b>福井</b>　　我が家では「酒は一日の〆」であると。ところが､学生は寝る直前まで勉強できる状況にしておかないといけないから厳しかったんでしょうね。でも親父って基本的には息子と飲みたいものなんですよ。大学の合格発表の時は即ビアホールに連れて行かれて、心おきなく一緒に飲みましたよ。（※ ２浪なさったため､すでに成人していらしたそうです。）<br />
<b>さゆり</b>　お父様には早くから後継になれと言われていたのですか？<br />
<b>福井</b>　　いや、全然。「俺は野口英世の母にはならん！」って常々言ってたんですよ。知ってます？野口英世の母は野口英世がアフリカにいっても「帰ってこい」って手紙を代筆してもらって、ずーっと出してたんです。 それなのに､僕が大学３年の夏上京してきて「帰ってこないか」っていうんだもんなー。（笑）でもまあ、高校、大学と実家でアルバイトもしてきたし、田舎で働くのも楽しそうだなと思って承諾しましたけどね。（笑<br />

<h3>■ワインとの出会い</h3>

<b>さゆり</b>　大学卒業してすぐ戻ってこられたのですか？<br />
<b>福井</b>　　いえ、長年商売でおつきあいがあったサッポロビールさんに４年半お世話になりました。最終的に本社でワインマーケッターを経験してワインと出会ったことで僕の「今」があると思っています。<br />
<b>さゆり</b>　奥様の富士子さん（※日本ソムリエ協会公認シニアワインアドバイザー）とはワインを通じて知り合われたのですか？<br />
<b>福井</b>　　社内恋愛なんですよ。 ただ、彼女は先に会社を辞めて本格的にワインスクールで勉強をはじめましたね。<br />
<b>さゆり</b>　東京出身の奥様が岩手にいらして､ワインスクールやお店（カーブ＆レストラン ヴァンダンジュ）の経営で活躍なさっていますね。ご結婚はすんなり決まったのですか？<br />
<b>福井</b>　　いやいや。（笑）もう、両親、親戚、友人、全員大反対。<br />
<b>さゆり</b>　岩手にソムリエなんかいるのか、と？<br />
<b>福井</b>　　それよりも、岩手にワインなんかあるのか、と（笑）これは冗談ですけど、まあ会ってもらって僕の人となりをわかってもらうしかないので。「あきらめない」の精神ですよ。<br />
<b>さゆり</b>　頑張った甲斐ありましたね。 ワインの魅力はどんなところですか？<br />
<b>福井</b>　　ワインは味､葡萄の品種､産地、時間と４次元的味わいがありますよね。 その味の幅が非常に広い。女房が「マリアージュ（結婚）」って表現するんですけど、ワインは食との組み合せで新しい世界の広がりがあるんですよ。そこがおもしろいですね。今年の秋には「Exit」てっていう名前のオリジナルワインを発売します。　一日の仕事が終ったら､ここから「出て」次の世界に行こうよ！って意味をこめたわけです。<br />
<b>さゆり</b>　いい名前！　ネーミングはご自分で？<br />
<b>福井</b>　　はい僕がつけました。「銀河高原ビール」も僕が名づけたんですよ。<br />
<h3>■自分のビールを造りたい</h3>
<b>さゆり</b>　「銀河高原ビール」に関するお話をしていただけますか？<br />
<b>福井</b>　　ワインももちろん大事だけど､自分はビールから始まったんでやっぱりビールをやりたいな､と。平成５年の規制緩和でビール製造の下限値が６０キロリットル以上に引き下げられたんですよ。「自分にしかない商品」で「新需要創造」しなくちゃなあと。 商品力のある自分のビールを造らなければ会社はなくなるとまで思いましたね。<br />
<b>さゆり</b>　それが「地ビール」作りの動機になったんですね。<br />
<b>福井</b>　　とはいうものの､400キロ以上造らないと採算とれないんだよね。 資金不足で一旦頓挫しました。でもどうしてビール作りたくてね､ シャンプーの泡みては「これがビールだったら」 シェービングフォーム見ては「この泡いいな」 って頭から離れない。（笑）寝ても覚めてもビールなわけです。そんな時､友人に東日本ハウスの中村功社長を紹介されて。話してるうちに､中村さんが「今度沢内で地ビール造るんだ」って言うんですよ…（笑）  これは絶対止めさせなきゃ！って。 （笑）<br />
<b>さゆり</b>　大手に先こされちゃ､まずい！と。<br />
<b>福井</b>　　「何キロ位造るんですか？」って聞いても「具体的なことはまだ決めていない」って言われて。僕は経営計画作って収支決算までした男ですから「そんな生半可なことじゃできませんよ。」ってつい言っちゃったんです。そしたら､中村さんがホント怒ってね…。謝ったら 「何でお前あんな事言ったんだ？」って。「いや 実は自分はビールやりたくて名前まで考えていました」と言った訳です。 そしたら「何ていう名前だ？」って聞くわけですよ（笑）<br />
<b>さゆり</b>　名前とられちゃう！ と？（笑）<br />
<b>福井</b>　　そう、教えなかったら「なんだ､腹の小さいやつだ。」って言うからしぶしぶ「銀河ビールです」って言ったら「お！いい名前だな！」 って（笑）「とられた～！」って思った～。（笑）結局､どういう売り方をしたいかまでしゃべっちゃって､別れてから「とられなきゃいいな～」と悶々としてたわけです。<br />
<b>さゆり</b>　洗いざらいしゃべった後で悶々と（笑）<br />
<b>福井</b>　　そう。そしたらある日電話を頂きお会いしたんです。すると「君はまだ地ビールや
る気はあるのか？」と聞かれました。即座に僕は「もちろんです！」って答えたら、「俺は若い経営者を育てたい。お前やってみんか？」って言われたんです。<br />
<b>さゆり</b>　すご～い､ドラマみたい！<br />
<b>福井</b>　　いや様々な試行錯誤がありました。でも中村社長に叱咤激励され、様々な教えを頂
き乗り越えました。そして、岩手だけで売るって考えず販売量の1000キロっていうのは、1万人に１人が飲んでもらえればいいと計算したら気が楽になったんです。完全なニッチでいいわけですよね。新しいビールのカテゴリーを確立してファンを作る作る戦略でいこうと。岩手から初めて次に東京に飛びました。東京での反響は大きかった。そこで全国を対象にした沢内の工場とは別の会社が設立され、その時僕は親父の体調が悪くなったので家業の成瀬に戻ったわけです。<br />
<b>さゆり</b>　つい先日銀河高原ビールは清算、沢内村での生産に絞ると報道されましたね。<br />
<b>福井</b>　　沢内に帰ってくる。そしたらまた原点に戻りもう一度１０００キロのマーケティン
グをやろうと思います。<br />
<b>さゆり</b>　東京に出て行った子どもが里帰りって感じですか？<br />
<b>福井</b>　　ハハハハ！（笑）　今後はワインだけじゃなく、ビールでも新しいブランドを作っていこうと思っています。
</div>

<div class="epilogue">
<strong>インタビューを終えて</strong><br />
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic5-8.jpg" width="160" height="120" align="right" />
話術に長けている福井さま､カタイ話題にもかかわらず始終爆笑のインタビューになりました。文字数の関係で割愛した部分も多々あり断腸の思いです！社員の皆さまには「損得」ではなく「善悪」を行動基準にする様くり返し話されているそうです。福井さんにとって社風とは「行動基準」すなわち「イズム」であるとおっしゃいます。<br />
朝礼では全員に同じ本を配布し､自ら朗読すること､お給料袋にはひとりひとりお手紙を同封していること等、社風の浸透心を砕いておられました。大手資本が続々参入している中､地場資本の問屋が戦う姿を「戦国時代群雄割拠する中、真田一族や山中鹿之助のような境遇」と例え、「社員全員忍者にならなければいけない。」と言い切ります。 この卓抜した比喩表現！さゆりがはまっている漫画「NARUTO」を彷彿とさせる凛々しいお姿。これからの戦いぶりに目が離せません。
</div>]]>
   </content>
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   <title>第4回　山口北州印刷株式会社　代表取締役社長　藤浦　信 様</title>
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   <published>2005-08-31T05:06:11Z</published>
   <updated>2009-02-25T01:07:09Z</updated>
   
   <summary> PROFILE 山口北州印刷株式会社　代表取締役社長　藤浦　信 様 昭和35年...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bcac.jp/anata/">
      <![CDATA[<div class="prologue">
<strong>PROFILE</strong><br><img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic4-1.jpg" width="160" height="120" align="left" />
<h3><a href="http://www.hokushu.com/" target="_blank">山口北州印刷株式会社</a></nobr>　<nobr>代表取締役社長　藤浦　信 様</nobr></h3>
昭和35年　宮崎県日南市生まれ。<br />
情報編集の仕事を志しリクルート入社。山口北州印刷現会長のご長女との結婚で、自身の経営参画は自然の流れと受けいれる。大日本印刷で５年間印刷業界を経験後、平成5年山口北州印刷入社。平成16年７月より代表取締役就任。決裁権限など様々な社内のシステムを刷新中。今後は「Quality First」をモットーにペーパーメディアの可能性を追究し続けたいと語る若手経営者。
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<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic4-2.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:180px" /><br>
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<h3>■ 九州から岩手ヘ</h3>

<b>さゆり</b>　藤浦様はご実家のご商売を継ぐ、もしくは御自分で起業するというパターンではなく、奥様のご実家のご商売を継がれたわけですよね。<br />
<b>藤浦</b>　　ええ、カミさんは３人姉妹の長女でいずれは自分も手伝うんだろうなと。<br />
<b>さゆり</b>　奥様とはどこでお知り合いになられたのでしょう？<br />
<b>藤浦</b>　　僕は大学をでてから情報編集の仕事がしたくてリクルートに入社しました。カミさんは同期入社で、入社３年目で結婚したかな。<br />
<b>さゆり</b>　早いですね、熱烈な恋愛結婚とか？<br />
<b>藤浦</b>　　熱烈かどうか別として、当時のリクルートは夜中まで大抵の人が会社に残るせいか社内結婚が多い。それで、限られた出合いの「しゃーない（社内）結婚」って言われてたんだけど（笑）<br />
<b>さゆり</b>　ご結婚と同時に岩手に来て「山口北州」に御入社なさったのですか？<br />
<b>藤浦</b>　　いや、結婚後の２年間は引続きリクルートで。そのあと大日本印刷に5年お世話になりました。<br />

<h3>■　業種の違いに戸惑いは？</h3>

<b>藤浦</b>　　リクルートでは「調査」の仕事をしてました。「人気企業ランキング」とかあるでしょ。「調査」を企画してまとめて広報戦略の一環でプレス発表をする。記事になりそうな企画を提案したり。独創にエネルギーを注げるのがおもしろかった。<br />
<b>さゆり</b>　大日本印刷ではお仕事の内容は？<br />
<b>藤浦</b>　　受注産業の営業でそれまでと全然違った。こうしたほうがいいなぁと思っていてもお客さんにダメといわれたらダメだから。前職と違って。<br />
<b>さゆり</b>　ギャップは相当？<br />
<b>藤浦</b>　　かなり。でも、提案と称して意見したりするから、お客さんも「なんて生意気なやつだ」と思ったんじゃないですか？<br />
<b>さゆり</b>　あれっ？　それでも言うことは言っていたんですね！<br />
<b>藤浦</b>　　ははは、やかましいと思われていたみたいですね。でも、お客さんから提案を求められることもあって、CIをお手伝いする機会に恵まれたり、いつも「何かネタない？」って言うお客さんを担当したから、販促とか色んな提案をしたり。<br />
<b>さゆり</b>　こちらもおもしろそうですね。<br />
<b>藤浦</b>　　うん、僕はもともと「情報編集」や「広告」が好きだったから、おもしろかったですよ。<br />
<b>さゆり</b>　大日本印刷に５年いて、そろそろ「山口北州に」という流れに？<br />
<b>藤浦</b>　　うん、決めごとだったようで。平成５年5月に入社しました。<br />
<b>さゆり</b>　出社の初日はどうでしたか？<br />
<b>藤浦</b>　　ういてましたね（笑）挨拶で冗談言ってもうけないし。みんな下向いてたし。（笑）<br />
<b>さゆり</b>　社員は次期社長がくるっていうんで、どう対応していいかわからないのもありますよね。同じ印刷業界でも大日本と山口北州ではどんなところが違いますか？<br />
<b>藤浦</b>　　大日本は受注の間口がかなり広くて分野ごとに営業が専門化されているけど、間口が狭いながらも北州は広い分野に対応する必要があるというところが違う。そういう点では北州の方が面白いかもしれないですね。

<h3>■　経営に自分色を</h3>

<b>さゆり</b>　平成１６年７月にいよいよ代表取締役社長にご就任なされて。それからこの役員室にひっこされたのですか？（役員室には会長と社長が机を並べて執務しています）<br />
<b>藤浦</b>　　最初は営業部に席があったんだけど、僕がそこにいると巨人軍に例えるとナベツネがベンチに居るみたいでみんながやりにくいでしょう？過程が見えなければ結果を第三者的に判断ができるし。役員は「選択」と「評価」に徹して「実行部隊」は部長に委ねる。「選択」と「実行」は分けたほうがいいと考えて、この夏に会長と一緒に役員室に引っ込みました。<br />
<b>さゆり</b>　役員と実行部隊の役割分担をすると。<br />
<b>藤浦</b>　　ええ、その一環で新年度（６月）から「チームチャレンジ」に取組んでいます。会社を「総務」「営業」「製造」の３チームにわけてそれぞれのゴール（目標）を決めて、到達までの方法は各部でアレコレ工夫する。当然失敗もするでしょうけど、自分達で決めて失敗すれば「何で？」って自ら分析するじゃないですか。<br />
<b>さゆり</b>　上意下達であれば、自ら考えないと。<br />
<b>藤浦</b>　　そう。でも戸惑いもあると思いますよ。大きく変えたから。それでもシステム改善はどんどん進めたい。２０～３０代の被査定者を中心に構成した人事制度改善委員会の提案もあって今期から人事評価システムも「成果主義」ではなく「成長主義」に変えました。<br />
<b>さゆり</b>　個人個人がどれだけ成長したかその程度によって評価されるのですね。<br />
<b>藤浦</b>　　そう。テーマは「Professional Worker」、プロとしてのスキル成長度が評価されます。成長を後押しするためには、受動的になりがちな「教育」より「学習」の機会を創ることが大事。それにはOJTが一番効果的だと思っています。適切な現場判断ができるように一人一人の判断力を上げることが会社の成長につながるわけだから。<br />
<b>さゆり</b>　人が重要であると。他に山口北州としてここに重点をおいてやっていきたい点はどこですか？<br />
<b>藤浦</b>　　ぺーパーメディアの可能性を追求していきたい。自分達の技術がいかに社会に必要とされるかっていうのも大事ですね。セカンドロゴにある「Quality First」の「Quality」は、工業製品としての印刷物のハード面と編集などソフト面の２つの質を意味しています。この２つを兼備えた「質」を追求して勝負をしかけていきたい。で、この「質」を高めるのはやっぱり「人」なんだと思うんですよね。
</div>

<div class="epilogue">
<strong>インタビューを終えて</strong><br />
<img alt="" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/pic4-8.jpg" width="160" height="120" align="right" />若々しくさわやかで、頭の回転が早い方だなーというのが印象です。いろいろ努力なさっているのでしょうが、それを表に出さないスマートさをお持ちです。<br />
趣味は読書とお料理、お料理の腕やセンスで仕事ができるかだいたいわかるとおっしゃいます。「聡明な女は料理がうまい」という本もありましたね。確かに段取り能力や創造性が問われます。なにを隠そうわたしもお料理好きでお料理教室に通っています。玄米レストランオープンしたらウェイターやりますって口をすべらせていた藤浦さま、わたくし本気にしてお待ちしております。
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   <title>第3回　高源機械株式会社　代表取締役社長　高橋 豊 様</title>
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   <published>2005-08-08T01:26:08Z</published>
   <updated>2009-02-25T01:07:09Z</updated>
   
   <summary> PROFILE 高源機械株式会社　代表取締役社長　高橋 豊 様 昭和23年　花...</summary>
   <author>
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   </author>
         <category term="花巻市" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bcac.jp/anata/">
      <![CDATA[<div class="prologue">
<strong>PROFILE</strong><br />
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/takagen1.jpg" width="160" height="120" align="left" />
<h3><nobr><a href="http://www.takagen.biz/" target="_blank">高源機械株式会社</a></nobr>　<nobr>代表取締役社長　高橋 豊 様</nobr></h3>
昭和23年　花巻市生まれ。<br />
祖父源太郎が穀物卸として起業、2代目の剛一郎が経営拡大し今日の基礎を築く。３代目後継者として期待される雰囲気を全身で感じて育つ。大学卒業後、クボタで4年修行後昭和49年高源に入社。5年後突然父である社長が倒れ7年寝たきりとなる。翌昭和55年は昭和の大冷害。景気も悪く以後10年間は暗闇の時期が続き、さまざまな試練が起こる。経営、精神の勉強にかなりのお金と時間を投入。昭和60年社長就任。平成1年1月11日に流れが変ると確信、実際に素晴らしい結果がでる。平成5年にも大冷害が起こったが、社長、社員ともども逆境で学んだ知恵を生かしピンチを切り抜ける。このときはっきりと経営のおもしろさ素晴らしさを実感、以後経営は安定成長を続け、平成17年創業95周年を迎える。
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<div id="content-text">

<h3>■ 裕福な家庭で育って</h3>
<strong>さゆり</strong>　物ごころついた時にはお父さまがすでに会社を軌道に乗せていらしてお坊ちゃまだったのではないですか？<br />
<strong>高橋</strong>　従業員は10数人くらいだったと思うけど、お坊ちゃまだね。<br />
<strong>さゆり</strong>　もう自分は後継者としての自覚はありましたか？<br />
<strong>高橋</strong>　中学生の時のあだ名が「社長」だったな、由来は単に塾を遅刻しただけなんだけど。（笑）それはともかく、後継だという雰囲気は重たくてね、高2の時ノイローゼになりかけた。<br />
<strong>さゆり</strong>　そんなに重圧だったのですか?<br />
<strong>高橋</strong>　毎日曇り空のような憂鬱な日々が続き、弓道も勉強も下り坂だった。そんなある日、突然雲の隙間から青空が見えた。大学受験と将来商売を継ぐ気があるかという二大重要課題を背負っていた迷いの心がぱっと晴れた｡まず受験が大事と気づき、懸命に努力して無事合格したよ｡現実を受けとめよう、将来を心配するより目前の重要なことを一つ一つ集中して片づけていこうと覚悟が決まったね。<br />

<h3>■　影響を受けた父の言動</h3>

<strong>さゆり</strong>　農機具部門を拡大したお父様はどんなかたでしたか?<br />
<strong>高橋</strong>　大胆にして細心というのかな。思いつきでなくキチンと準備したうえで機が熟したら大胆に行動してたね。昭和１０年頃には非常に貴重なハーレーダビッドソンを駆って県内各地の農家どこにでも行くんだ。<br />
<strong>さゆり</strong>　自転車も高価な時代ですか？<br />
<strong>高橋</strong>　そう。確かに距離も戸数も回れるから。当時は今と違って郊外の農家なんかは情報に飢えてるわけだ。だから町の様子を色々教えてあげると非常に喜ばれる。それで農家の人たちは親切だからご飯を食べていけというんだ。お客さんだからって普段炊かない白いご飯を炊いてくれてね。出されるおかずを見れば大体の家計の状態がわかるからそれに応じた農機具を勧めてたらしい。<br />
<strong>さゆり</strong>　すごい。マーケティングやセールス手法は今に通用しますね。ハーレーと一緒に情報がやってくるのはインパクトありますよ～。<br />
<strong>高橋</strong>　ハハハ。昔は今と違って蝿がいっぱいいたから、食卓のご飯を「随分、真っ黒、ゴマでもかかっているのかな？」と思ったらビッシリ蝿だった（笑）それを手で追い払って食べたって。でもそれがあたりまえだった。ご馳走になったら時間をおかないでお礼に行ったらしいよ。<br />
<strong>さゆり</strong>　フォローも完璧。<br />
<strong>高橋</strong>　やっぱりハーレーだと機械が壊れたらスグ飛んで行けるし。それと昭和35年には、世界一周農業視察団に参加して大きなショックを受け、大型設備投資を決断したんだ。いち早く宣伝カーを特注して風船やチラシをまいて走らせてたな。「広告は単発じゃだめだ、ずっとやり続けろ」が信念で、それは今でもそうしてるよ。<br />
<strong>さゆり</strong>　広告宣伝もわかっていらっしゃる。<br />
<strong>高橋</strong>　昔も今も商売に限らず、根底の考え方は変っていないんじゃないかな。親父はよく「うるげるな。」と言ってたね。油断するな、いい気になるな、落とし穴があるぞという意味で。<br />

<h3>■　先が見えない長い試練がもたらした恩恵</h3>

<strong>さゆり</strong>　そんなカリスマ社長が突然脳梗塞で倒れたわけですね？<br />
<strong>高橋</strong>　そう、重症で７年間寝たきりになった。当時私は入社5年目で専務になったばかり。社員は150人くらいいたし年上の社員は５0人はいたかな。社長はワンマンで指示出すタイプだったから幹部もそれに慣れていて自分で考えて行動する機会がなかったわけだ。<br />
<strong>さゆり</strong>　お父さまの能力でカバーして来た面を残された人で対処して行かなければならない。<br />
<strong>高橋</strong>　いろんな現実がぶつかってきてね、情けない思いもした。翌年は昭和55年、戦後最悪の大冷害で農家は大打撃。世の中の景気も悪くて在庫が増える回収も出来ないと悪循環でね。社長が弱気だとそれが社内にも伝染するんだ。借金も目いっぱい増えた。<br />
<strong>さゆり</strong>　でもそれだけの金額を借りられるのはすごいですね。<br />
<strong>高橋</strong>　銀行の限度ギリギリ（笑）これは先代のお陰だね。ガッチリと経営基盤をつくっておけば代変りしても10年は持つんだと実感した。<br />
<strong>さゆり</strong>　その状態がおよそ10年続いたのですか？<br />
<strong>高橋</strong>　経営なんてやるもんじゃないと思った（笑）写経、座禅、経営、能力開発セミナー受講、ありとあらゆる勉強にお金と時間を費やした。でも流れが変ったのが10年後、平成1年1月11日。全社員が集まり経営方針の発表と前年の表彰を行なう大事な日でね。1が4つ並ぶなんて何十年に一度のこと。今年は行けるゾと思った。<br />
<strong>さゆり</strong>　確信が持てたのですね。<br />
<strong>高橋</strong>　そう、必ず目標が達成出来ますと皆の前で宣言し、事実素晴らしい１年になった。自分を信じ社員を信じる事の重要さ素晴らしさを体験した貴重な年だったよ。しかし、平成5年は作況指数30の大冷害。盛岡以北は一粒の米もとれなかった。私も社員も以前より成長していたから幸いピンチはなんとか切り抜けた。あきらめなければなんとかなる！信念らしきものが生まれたし、経営の面白さ素晴らしさがわかった年だった。<br />
<strong>さゆり</strong>　うーん、私には到底のりこえられない。。。（汗<br />
<strong>高橋</strong>　忍耐力は自信ありますよ。（笑）これからは幹部教育を含め人材を育てて自分の想いを正しく伝えていきたい。<br />
<strong>さゆり</strong>　やっぱり経営者で良かったですか？<br />
<strong>高橋</strong>　うん（キッパリ）。経営者で良かった。世の中は出会いと組み合わせ。運と縁に支えられ、信頼と信用がその価値を高めて、時には奇跡のようなものが生まれる。感謝です。すばらしい人との出会いのおかげで今の自分がある。これからもたくさんの良い出会いがあると信じてるよ。そして、良いことは多くの人々に情報提供していきたい。金儲けも重要ですが、人儲けをしていきましょう。
</div>

<div class="epilogue">
<strong>インタビューを終えて</strong><br />
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/takagen8.jpg" width="160" height="120" align="right" />
社長と知り合って5年程たちます。いつも柔和な笑みをたたえているのは育ちの良さと勝手に解釈しておりました。今回じっくりお話しを伺って見て、今までの道のりに初めて思いを馳せました。自分の器では到底受けれいれられない事実におののき、社長の笑みはその器の大きさ、懐の深さなのだと今さらながら思い知らされました。
「農機具は高いと言われますが事実高いです。家電に比べたら各段に生産台数が少ない分、コストが割高です。だから大事に長く使って下さい。そのために私たち機械屋がいるのですよ」いろんなご苦労も農家の皆さんの笑顔の  ためにと頑張ってこられた、高橋社長。私も農家のはしくれとして非常に心強く思います。<br />
これからも、農家のため、教育のため、花巻のためによろしくお願い致します！</div>
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   </content>
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   <title>第2回　株式会社 三田商会　代表取締役 三田 望 様　</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bcac.jp/anata/2005/08/2.html" />
   <id>tag:bcac.lolipop.jp,2005:/anata//5.250</id>
   
   <published>2005-08-06T01:10:13Z</published>
   <updated>2009-02-25T01:07:09Z</updated>
   
   <summary> 株式会社 三田商会　代表取締役　三田 望 様 昭和２０年満州生まれ。 満州引揚...</summary>
   <author>
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   </author>
         <category term="花巻市" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bcac.jp/anata/">
      <![CDATA[<div class="prologue">
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/mita1.jpg" width="160" height="120" align="left" />
<strong><nobr>株式会社 三田商会</nobr>　<nobr>代表取締役　三田 望 様</nobr></strong><br/>
昭和２０年満州生まれ。<br />
満州引揚後中学２年まで東京神奈川で過ごす。父親は満州からの引揚家族のお世話を無償で継続、使命感からくる無償の行動を見て育ったことが後の生き方に色濃く反映される。<br />
昭和３３年、父の実家花巻に一家で引越し、ガソリンスタンド経営をスタート。わずか３年で父を亡くし女手ひとつで家業を切盛りする母を見て早くから後継者としての自覚をもつ。大学卒業と同時に経営に参画し、昭和６２年代表取締役に就任。<br>
平成３年にはスタンドの全面改装及び併設して「私の部屋」開業、平成５年には「ノースポイント」の開業と異業種進出も含め事業を拡大。自他とも認める「ワンマン経営」だったが、青年会議所とロータリークラブのプログラムに応募し5週間渡米。人生観が変わる転機となる。<br />
帰国後は教育委員、知的障害者施設の運営、等社会活動を積極的に行なう。自身が変化することで事業システムも社員も大きく変化を遂げることを実感。
社員数も４名から２０数名となり、朝礼をはじめとする諸制度を導入しながら経営理念を次世代につないでいる。
</div>]]>
      <![CDATA[<div id="content-pic">
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/mita2.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:200px" /><br />
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<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/mita4.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:200px" /><br />
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/mita5.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:230px" /><br />
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/mita6.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:230px" /><br /><img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/mita7.jpg" width="160" height="120" />
</div>

<div id="content-text">

<h3>■ 「ワンマン経営」が転機をむかえたのはなぜ？</h3>
<strong>さゆり</strong>　ご自身「ワンマン経営」だったとおっしゃいますが当時どんな社長でしたか？<br />
<strong>三田</strong>　親父が死んでからお袋が社長で切盛りしてきたんだけど、大学卒業したら当然家業を継ぐつもりで在学中からガソリンスタンドでアルバイトしてきた。
大学4年のとき、スタンド改装工事を始めて準備したよ。戻ってきてまずそれまでいた従業員をすべて切って総入れ替えした。
商売はテクニックがあれば上手く行くと考えていたんだね、自分と同じように何故できないんだ、もっと能力をあげろという気持ちで毎日朝6時から11時まで真っ黒になって働いた。
社員はたまったもんじゃないよね。<br />
<strong>さゆり</strong>　最初から社長に就任したのですか？<br />
<strong>三田</strong>　ううん俺は専務だったの。でも社長（母）は黙っていたね。
何か言ったのかもしれないけど聞かなかったのかもしれない。（笑）随分ハラハラしたと思うよ。<br />
<strong>さゆり</strong>　お母さんはよく黙っていられましたね。<br />
<strong>三田</strong>　うん、信頼してくれてたんだと思うよ。<br />
<strong>さゆり</strong>　それが変わる転機になったのが３２歳の渡米。<br />
<strong>三田</strong>　そう、どうしても行きたかったから、今まで全部自分がかかわらないと気がすまなかった会社の権限を1年かけて社員に割り振るようにした。<br />
<strong>さゆり</strong>　10年間の方法を変えるということはよっぽどだと思うのですが、そこまでして何故渡米したのですか？<br />
<strong>三田</strong>　自分をもっと成長させたい。商売だけの人間にとどまりたくないという気持ちが強かった。
親父が遺言で母親に「望を商売だけしかできない人間にしないように頼む」といっていたと後から知ったしね。
親父は、満州引揚げ後もずっと他の引揚げ家族の世話をしていて、ガソリンスタンドの経営を軌道に載せたらまた東京に戻りたい、お世話を再開したいと思っていた人だから。
実際、アメリカに行ってみて見聞したものがすべて栄養になったね。人生観ががらっと変った。
戻ってから青年会議所の活動を皮切りに、話が来たものは断わらず引き受けるようになった。いろんな機会を逃さないようになったね。<br />
<strong>さゆり</strong>　ご自身が変わられてから会社に何か変化がありましたか？<br />
<strong>三田</strong>　それはもう数限りなくあります。見えなかったものが見えてきたし、社員の見方も変ってきた。
社員はみな向上心がある、経営者というのはそれに火をつける役なんだとわかってきた。
今まで自分は社長にはなっていたけど経営者にはなっていなかったんだね。<br />
<h3>■「ガソリンスタンド」になぜ「雑貨屋」と「アンティーク家具」？</h3>
<strong>さゆり</strong>　平成3年にガソリンスタンドの大改装とあわせて「私の部屋」を開業しましたよね？
花巻にもやっとおしゃれな雑貨屋さんができてすごくうれしかったのを覚えていますが、どうして雑貨屋さんだったのか、そのあたりの経緯を教えていただけますか？<br />
<strong>三田</strong>　決して儲けのためだけではないね。やりたかったからやったとしかいいようがない。
夢を求めてガソリンスタンドに来てほしいと思ったから。それにはどんな店舗がいいかといろんな店を検討してみたけどどれもピンとこない。
その時誠山房で「私の部屋」の本を見た。おかしいね、雑誌を見てすごくわくわくしたんだよね。男なのに！（笑） 
早速自由が丘の本店にいってフランチャイズの申込みに単身のりこんだんだ。<br />
<strong>さゆり</strong>　すんなり話がきまったのでしょうか？<br />
<strong>三田</strong>　とんでもない（笑）約束も忘れられてたし、すでに数社が順番まちだということでその日は商談にならずに戻ってきたよ。<br />
<strong>さゆり</strong>　ひどい！後から当然謝罪があったんですよね？<br />
<strong>三田</strong>　謝罪の電話は来たけど、もう一度上京してくれというんだ。こちらがどこまで本気なのか確認の意味もあったんだね。
うちの店は20坪しかないし、ガソリンスタンドとの併設店舗はまだなかったから向こうも慎重でね。ある日社長自ら自分の目で調査したいと花巻に来てね。
そしたら花巻の人はセンスがいいし、こういった店に飢えていると思うからやってみたらと許可がおりたんだ。<br />
<strong>さゆり</strong>　当ってますね。みんなそうだったと思います。すぐ繁盛しましたよね？<br />
<strong>三田</strong>　初年度から順調に売上を伸ばして2年後には全国で売上トップになったんだ。今でも３～４位はキープしているよ。
しかも、今フランチャイズの条件は40坪以上になっているし、「花巻店の売上は例外です」と言われるまでになった。<br />
<strong>さゆり</strong>　全国でトップだったんですか。そこまでとは思いませんでした。
さらにアンティーク家具の輸入販売に踏みきったのはどうしてですか？<br />
<strong>三田</strong>　「私の部屋」を開業してから雑貨の勉強はかなりやったよ。その時東京の「ギフトショー」でアンティーク家具と出会ってね。
いや～これを宮澤賢治のふるさとで展開したい！と思っちゃって。<br />
<strong>さゆり</strong>　アンティーク家具については知識はあったのでしょうか？<br />
<strong>三田</strong>　ないよ。どこで卸すのか買うのかもわからない。（笑）
調べていくうちにイギリスだということになって通訳の人と2人買付けにいったんだ。
1週間、ロンドンを歩き回ったんだけど、小売店は沢山あるんだけど仕入先がわからない。
そうこうしているうちに帰国の2日前、偶然アンテナショップを発見したんだね。
ここだ！っていうんでそこに出向いたら「もうアンテナショップはたたもう」と思ってるというんだ。
こちらの仕入れたいという希望とぴったりあってそこで買付けすることができた。ものすごいタイミングだったねぇ。<br />
<strong>さゆり</strong>　仕入れ先が見つかるというあてもなく渡英したということですよね？
ちょっとタイミングがずれたら、出会えなかったんですよね、うーん。（笑）
こちらのご商売は未経験だったのに不安はなかったのでしょうか？<br />
<strong>三田</strong>　ガソリンも雑貨もアンティークも「商売」というくくりでは同じなんだよ。<br />
<h3>■ 商売、経営の醍醐味はなんですか？</h3>
<strong>三田</strong>　あのね、お店に来たお客さんが「おたくの社長ってこういう人じゃない？」っていってたってスタッフから聞くことがあるの。
「こういうところにこだわるお店ってことは、こういうセンスでこんな性格の人じゃないか」って言うらしいんだ。
ちゃんと商品やお店を通じて伝えたいことが伝わるところがおもしろいねえ。<br />
<strong>さゆり</strong>　コンセプトがきちんと理解してもらえた瞬間ですよね。もうやめられないって感じですか？<br />
<strong>三田</strong>　やめられないねえ。商売は楽しいねえ。
</div>

<div class="epilogue">
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/mita8.jpg" width="160" height="120" align="right" />
「やめられないねぇ。楽しいねえ。」と語る三田社長の満面の笑顔が強く印象に残りました。こういう社長のもとで働く社員もやりがいあって「楽しいねえ」と笑えるのでしょうね。使命感あふれるお父さまの生き方が、三田社長のバックボーンを強く支えていると感じます。お父様の母校である盛岡中学（現在の盛岡一校）の入学が決まったらすごく喜んでくださったそうです。汽車で付き添い、帰りに映画に連れて行ってくださったお父様は３ヶ月後他界してしまいました。それだけが唯一の親孝行だったと淡々と語ってくださった三田社長。お父様はきっと、今ご立派になられた三田社長を相変わらず喜んで見守ってくださっているはず。お父様の名前を一字いただいたお孫さんの成長も楽しみに加わって、ますますのご活躍が期待されますね。どうもありがとうございました。
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   <title>第1回　株式会社 畠山冷機工業所　代表取締役社長 畠山忠弘 様</title>
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   <published>2005-08-05T01:46:31Z</published>
   <updated>2009-02-25T01:07:09Z</updated>
   
   <summary> PROFILE 株式会社 畠山冷機工業所　代表取締役社長　畠山忠弘 様 昭和１...</summary>
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      <![CDATA[<div class="prologue">
<STRONG>PROFILE</STRONG><br />
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/hatakeyama1.jpg" width="160" height="120" align="left" />
<h3><nobr><a href="http://www.hatakeyama-reiki.jp/" target="_blank">株式会社 畠山冷機工業所</a></nobr>　<nobr>代表取締役社長　畠山忠弘 様</nobr></h3>
昭和１７年中国大連生まれ。<br />
実業家の伯父が商工会議所、花巻信用金庫の設立に尽力するなど花巻経済の基礎を作る過程を見て育つ。高校時代は柔道で岩手県体３連覇を遂げ、心、技、体を鍛える。特待生で大学進学するが柔道漬で勉強が出来ない環境に疑問を持ち１ヶ月で退学。<br />
家業の食堂を手伝う毎日であったが、自分のために御両親が鉄工所を設立。進学を希望するも聞きいれられず家出、上京。授業料、生活費をまかなうため夜学を選択、昼は冷凍機の会社でアルバイトに励む。これからは冷凍、冷房の時代がくると確信し卒業後花巻に戻り即起業。<br />
卓抜した技術で全国で第１号の冷凍空気調和機器施工技能士に認定され、前人未踏の「制作時間45分、満点」の記録を樹立。営業面でも生来のリーダーシップを発揮、経理センス抜群の専務（奥様）と共に順調に業務を拡大。<br />
不動産や保険業など複合経営が功を奏し、経営危機も乗り越えながら33期の株式総会では欠かさず配当金を支払っている。（写真の赤い柔道着は吉田秀彦選手より還暦祝いでいただいたもの）
<div style="text-align: right; margin: 5px;"><strong>株式会社 畠山冷機工業所ホームページ → </strong><a href="http://www.hatakeyama-reiki.jp/" target="_blank">http://www.hatakeyama-reiki.jp/</a></div>
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      <![CDATA[<div id="content-pic">
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/hatakeyama4.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:200px" /><br>
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<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/hatakeyama6.jpg" width="160" height="120" style="margin-bottom:200px" /><br><img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/hatakeyama5.jpg" width="160" height="120" />
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<div id="content-text">

<h3>■几帳面な体育会系</h3>
挨拶もそこそこに、さゆりの苗字が「畠山」だと知ると、早速パウチしたＡ３の紙を広げる社長。それはなんと、細かい字でびっしり書かれた畠山一族の「家系図」であった。昭和63年のいとこの還暦祝いに親戚に配布したもので、北海道、関東までご自身でで出向き７年かけて調査した力作。<br />
<strong>さゆり</strong>　社長はとても几帳面なんですね。<br />
<strong>畠山社長</strong>(以下社)　うん、ゴルフは昭和５６年から始めたんだけど、誰といつどんなコースを廻ったか、スコアも全部書いてあるよ。これを見て。（手帳を開く）<br />
<strong>さゆり</strong>　え！（絶句）4人のスコアが全部、書いてありますね。字もキレイ。<br />
<strong>畠山(社)</strong>　昭和17年会ゴルフクラブという同級生のゴルフ愛好会を作ってもう100回以上やってるの。なんでも几帳面なんだ。<br />
<strong>畠山(専務)</strong>　この他に「無尽（講）」が月12回ですから（笑）<br />
<strong>畠山(社)　</strong>　それは多い時でしょ。今は9回に減ったんだから。<br />
<strong>さゆり</strong>　9回でも十分に多いと思いますよ～。何か率先してやるのが苦でないのでしょうか？<br />
<strong>畠山(社)</strong>　もって生まれたものなんだろうな、全然苦じゃないね。伯父貴なんかは宮澤啓祐さんの父と同級生で、花巻商工会議所を一緒に作ったり、花巻信用金庫、花巻デパート、雪印乳業の誘致とか花巻の基礎づくりに頑張った人でさ。
私も、商工会議所の青年部作りにかかわったり、花巻祭で「○年会」って神輿が出るようになったのは私達同級生が「青睦会」って神輿を出したのが始まりなんだ。今でも同級生のまとめ役だね。<br />
<strong><strong>さゆり</strong></strong>　今でいうと「体育会系」ですね。<br />
<strong>畠山(社)</strong>　私は花巻北高で柔道部で1年生の時から大会に出していただき、3連覇だったから。岩手県体で3回連続優勝してるのよ。<br />

<h3>■時流にのった「冷凍機」</h3>

<strong>さゆり</strong>　熱血柔道少年だった畠山社長が「冷凍機」の会社を興すまでの経緯を教えてください。<br />
<strong>畠山(社)</strong>　柔道で認められて一切の費用免除で大学に行ったんだけど、勉強したくても1日中練習で授業に出られないんだ。
これは参ったと1ヶ月以内で退学して戻って来た。当時、親が上町で麻雀屋と食堂やっててね、俺もそこを手伝ってたわけ。
１年たったら、親が俺のためにって鉄工所を作ってつくってくれたのよ。
でも私は「鉄工所はやりたくない！勉強させてくれ！」って言ったんだけど聞いてもらえない。
それで家出よ。工学院大学の夜学に入った。昭和39年だったね。<br />
<strong>さゆり</strong>　え、すごい行動力ですね。家出というからには仕送りはなかったんですよね？<br />
<strong>畠山(社)</strong>　もちろん。1年前から食堂の手伝いをし月給をコツコツ貯めてたんだ。
昼間は冷凍機屋でアルバイトして生活費を稼いだんだよ。そしたらその会社がすごく忙しいわけだ。
当時花巻では魚屋さんなんかは木箱に氷をいれて冷やしていたんだけど、いずれ花巻も冷凍機をつけたケースが売れる時が来ると思った。
これからはこの商売がすごくいいと思ったよ。
２年の約束だったから家に戻って「親父、ゴメン。俺、後継がない。冷凍機屋やるよ」と言った。
「冷凍機屋って何だ？」と聞かれたので「魚や肉を冷やすケースを作るよ」と説明してね。<br />
<strong>さゆり</strong>　それが昭和42年。畠山冷機工業所のスタートですね。<br />
<strong>畠山(社)</strong>　最初は個人の会社でね。<br />
<strong>さゆり</strong>　冷凍ケースはどんなものだったんですか？<br />
<strong>畠山(社)</strong>　大工さんに木枠をつくって貰って板金屋さんにステンレスを被せてもらって、ケースの中は私がコイルを加工して作るわけです。私、几帳面だから（笑）キレ～イに作るわけだ。銀粉も自分で噴きつけたし。<br />
<strong>さゆり</strong>　最初から売れはじめたんですか？<br />
<strong>畠山(社)</strong>　最初一年は売れなかったけど、昭和４５年に岩手国体があった。それを境に冷凍ケースが少しずつ売れてきた。寝る暇ない位忙しくなったけど楽しくてしょうがなかった。売れはじめたら今度は「負けてくれ」って値引き交渉さ。それで負けても良いけどって条件つけた。
必ずお客さんを１人紹介してくれって。そしたら面白いね、皆冷凍ケースを自慢するんだ。ムキになってお客さん紹介してくれてね。２ヶ月待ちの状態になったな。<br />
<strong>さゆり</strong>　　う～ん頭いいですね、、、商人（あきんど）ですね（感服）<br />
<strong>畠山(社)</strong>　それから昭和50年頃からスーパーの時代になって、51年にはシティ青山、53年はニチイが出来てその工事もやったから評判になってね。そのころは毎年クラウンが買えるくらい景気が良かった。<br />
<strong>さゆり</strong>　　買ったんですか？<br />
<strong>畠山(社)</strong>　いや、カローラに乗ってた（笑<br />

<h3>■経営とは「武道の精神」である</h3>

<strong>さゆり</strong>　御社が大事にしている事は何ですか？<br />
<strong>畠山(社)</strong>　「365日24時間休みません」って事だな。夜中の2時3時でも即修理に行く。
元旦の電話は俺がとるよ。だって冷凍庫に2000万のアイスが入っていたら、融けたら2000万がパーなんだよ。<br />
<strong>さゆり</strong>　あっ、そうですね。社員の皆さんもそれは承知の事なんですね？<br />
<strong>畠山(社)</strong>　うちは面接の時そういう会社ですがそれについてこれますか？って聞いて了解得て入社してもらうからね。<br />
<strong>さゆり</strong>　社員数は24名？<br />
<strong>畠山(社)</strong>　そうだね。この社屋は売上6億の時に建てて今売上3億。社屋は半分にできないし社員も半分にする訳にはいかない。
私は柔道やってきて義理人情を厳しく言われてきた人間だから、一回採用した人間は本人から辞めると言わない限り絶対クビにはしない。
これが私の「武道の精神」なんだな。そう、あれを見て。（壁の額縁を指差す）あれがウチの「社是」<br />
<strong>さゆり</strong>　「心・技・体」ですね。<br />
<strong>畠山(社)</strong>　そう、うちの経営は柔道の「武道の精神」の「心・技・体」からきてるのよ。
「心は強い精神力と気力を持ち、技は常に研究を怠ることなく技術を磨き、逞しい体力をもって事に当れ」というわたしの柔道の体験からきた会社の社是なんだ。<br />
<strong>さゆり</strong>　なるほど。経営者にとって１番大事なものは何だと思いますか？<br />
<strong>畠山(社)</strong>　何だと思う？経営も生活も同じだよ。それは「心体強健」だね。 精神力とか技術はもちろん大事なものだ。
１番は体だ。体が丈夫じゃなくちゃダメだ。体がビンとしてどんな仕事が来ても体力でカバーするような気持ちでいないと。「心・技・体」で１番大事なのは「体」だね。要は健康だよ！
</div>

<div class="epilogue">
<strong>インタビューを終えて</strong><br />
<img alt="mita1.jpg" src="http://www.bcac.jp/anata/blog/archives/images/hatakeyama8.jpg" width="160" height="120" align="right" />
のっけから家系図とゴルフのスコア表を見せられてかなりみぞおちパンチのような衝撃を受けたさゆりです。さらに、インタビュー経過１時間程たって「そういえば何で来たの？」とのご質問。挨拶もそこそこに今に至る経緯を順序立てて話してくれていたので、時間がないから手短に要点をまとめて下さっているのだと思っていました。スポーツマンだけあり、ストレートで竹を割ったようななおかつ少年の心をおもちの方だなーと言う印象でした。<br />
でも、社長を支えているのは資金繰り一切をまかされている専務の奥様です。毎年株主総会で冗談混じりに「経営者交替しろ」と声が出るのも納得（笑）さゆりの尊敬する女性です。今度改めて専務のインタビューの回を作りますので皆さま楽しみにお待ち下さい。</div>
<div style="text-align: right; margin: 5px;"><strong>株式会社 畠山冷機工業所 ホームページ</strong>　→　<a href="http://www.hatakeyama-reiki.jp/" target="_blank">http://www.hatakeyama-reiki.jp/</a></div>]]>
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