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2005年11月24日

第7回 無ら里 代表 滝 成子 様

PROFILE
無ら里 代表 滝 成子 様
昭和22年 花巻生まれ。
花巻の商店街の中心部に生まれ育つが、父親がサラリーマンのため商売とは無縁の生活を送る。結婚を機に自宅をビルに改築。根っから商売人の夫と二人三脚でさまざまな飲食業を営む。平成3年、三田商会が花巻初の雑貨店「私の部屋」をオープン。10年間店長をつとめ全国売上げNO.1の記録を打ち出す。
平成14年、花巻郊外にB&Bタイプのカフェレストラン「無ら里」オープン。口コミでじわじわと評判になり、静かでゆっくり休める癒し空間として認知され、女性を中心に熱烈な支持を受けている。





■ 町の子として育って

さゆり 私は花巻の郊外で育ったので市内に行くことを「町に行く」と表現していました(笑)その「町」の真ん中で暮らすってどんな感じなんですか?
成子  花巻祭の花巻囃子を聞くともう血が騒ぎますね(笑)。山車のパレードも家から見えるわけだし。
さゆり 道に敷物しいて場所とらなくてもいいんですね~!上町にはどれくらいお住まいでしたか?
成子  平成14年に郊外に家を建てましたから、およそ30年間ですね。
さゆり ご実家は何かご商売をなさっていたのですか?
成子  近江商人の血を引く家系らしく、祖父の代では下駄屋とおもちゃ屋をやってたみたいですが、父がサラリーマンでしたのでまったく商売とは無縁の生活を送っていましたね。

■ 商売の道に

さゆり ご商売にかかわることになったのは、ご結婚後なんでしょうか?
成子  はい、主人は茨城県の石材屋さんの四男で商売人の家庭で育ちましたから、自分で商売したいという気持ちが強かったんですね。それで、花巻で商売をしようということになりまして。結婚の翌々年、昭和47年に実家をビルにしまして2階で和風レストランを始めました。当時は「和風」のレストランってめずらしかったんです。
さゆり 当時から、新しいもの、めずらしいものを手がけていたのですね。
成子  そうですね、主人が新しいもの好きだったんです。和風レストランを12年やった後は、新商売を次々はじめました。テイクアウトの寿司チェーン小銭寿司、居酒屋チェーンの村さ来など、やっては潰し、やっては潰し(笑)続くわけです。
さゆり 小銭寿司も、村さ来ももちろん花巻初ですよね。
成子  そうです。朝から晩まで働き通しで。子供は祖父母に預けっぱなしでした。主人は商売人の家で育ってきて、あたりまえのことでも私わからないことも多く、よく怒られて(笑)。
さゆり ずっとご夫婦でご商売なさっていたわけですが、平成3年「私の部屋」の店長に至る経緯を教えてください。
成子  当時テイクアウトのハンバーガー店を営業していました。ええ、もちろん花巻初で(笑)。無理がたたって主人が体調をすっかり崩してしまったんです。その時、「私の部屋」を準備中だった三田商会の三田望社長に「ぜひ店長に」とスカウトされました。
さゆり 三田社長とは以前からお知り合いだったのですか?
成子  主人が青年会議所で一緒でしたし、いわば同じ町内会という距離ですからね。早速 「私の部屋」の東京本社と展示会に連れていかれました。女性は新しいもの、きれいなものが好きですからね。「雑貨屋」がはしりの頃で「あら素敵!」となって、だんだん気持ちが向いていたんです。
さゆり ご主人は何かおっしゃいましたか?
成子  主人が三田社長に私をよろしく頼むとお願いしてたそうです。そこでハンバーガー屋を閉めて、本格的に「私の部屋」に参加しました。
さゆり オープンしたら大繁盛で。
成子  当時は本部から指導もないし、お手本は特にないわけです。ただ三田社長が「自分の感覚でいいんだよ!」とおっしゃってくださいました。大きい展示会はすべて行きましたし、毎月出張して問屋や展示会場を足でまわりました。自分の好みで仕入れた商品が売れるとうれしかったですね。売り上げが全国でトップになったこともあります
さゆり 花巻店で売上トップってすごいことですよね。

■ 松林に魅せられて

さゆり 自分の感覚が受け入れられて業績も順調。言うことなしの人生のようですが、便利な町の生活を離れて郊外に引っ越してこられましたよね。
成子  平成6年に主人を亡くしました。それで心にぽっかり穴があいたんです。気持ちを切り替えて仕事は続けていましたが「物を売る」ということに行き詰まりを感じ出したんですね。それと、とにかく田舎暮らしをしながら自然との共存を希望しました。自宅と店の往復で土がない生活は四季を感じないんですね(笑)。ストレスを減らして自分をもっとゆっくりさせなければと思いました。
さゆり ずっと走り続けていらして、ひと呼吸おきたくなったのかもしれませんね。
成子  はい、息子は私の希望する安らぎのある森を求めながら、住宅地図と電話帳を持って休日毎に車で走ってました。それで素敵な松林を見つけて、その足で地主さんの家に行きました(笑)。農地転用手続きに3年かかると言われましたが、待ってもいいから絶対そこに家を建てると決めました。
さゆり 当時は「自宅」としてを家を建てるつもりだったのですか?
成子  はい。ただ、設計士さんとやりとりしているうちに私の希望通りの建物にするにはここで「飲食」の仕事もしたらどうだろうというイメージがふくらんできました。食の部分は生活の中でとても大事なものだし、楽しみな部分でもありますから食べ物屋さんをやってみようと思ったんです。
さゆり 「私の部屋」のお仕事からの移行はスムーズにいきましたか?
成子  三田社長には何度も引き留められましたが、最終的には私の気持ちをわかってくださいました。設計士さんを紹介してくださったり、空調設備など、建築には大変協力をいただきました。平成13年に「私の部屋」を辞めて、平成14年10月にカフェレストランB&B 「無ら里」をオープンしたんです。
さゆり B&B(ベット・アンド・ブレックファスト)というスタイルや、豊富なカフェメニュー、センスあふれる店構えとこれも「花巻初」でしたよね。
成子  イギリスでB&Bを体験して、あったかい感じがしていいな~と思ったんです。地元の食材を使って家庭料理を出す「定食や」がいいいんじゃないな、と。この場所はちょっと町から離れてぶらっとやってきておいしいお茶を飲みながらゆっくりとした時間を過ごしてほしいですね。
さゆり いったん、自分をオフにきりかえて「無」になると。
成子  「無」という漢字が好きなんですよ。あて字ですがお店の名前にこの字を使いたかったんです。
さゆり 今後はどんな「無ら里」にしていきたいですか?
成子  55歳から「無ら里」をはじめて、とりあえず10年やってみようと決めました。その後のことはその時考えようと思っています(笑)。とりあえず、いつも同じ「無ら里」ではなくプラスアルファがないとダメだと思っています。時々 ライブやイベント、展示会をするのはそのためなんです。今年から30人くらいまでならパーティもやっていますので、よかったらどうぞいらしてくださいね。
さゆり あと7年ですか。でもまた予想外の展開になりそうで目が離せませんね(笑)
成子  どうかしら、その時がきたら考えてみます。(笑)
インタビューを終えて
さゆりが独立して実家で仕事していた時、さほど遠くない場所におしゃれな建築物を発見。やっと、花巻にセンスのよいカフェができたと感涙にむせびました。それから滝さんとお会いするたびに優しく柔らかい笑顔、着こなしのセンス、そのライフスタイル全般にしびれっぱなしです。
うちの姉(香港在住)一家も帰省するたび必ず訪れる「無ら里」。一度行ったら忘れられないお店、それはイコール滝さんの魅力です。これからも素敵な女性のお手本として滝さんをお慕い申し上げます。

投稿者 bcac : 2005年11月24日 10:08

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